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映画レビュー:『ローレライ』

2005年公開
脚本:鈴木智
監督・特技監督:樋口真嗣
音楽:佐藤直紀

総合評価:★★★★(79点)


「鑑賞前に作品の情報を耳に入れるべきではない」
…これは映画に限らず、作品を鑑賞する場合においての大原則であると言えるのだが、今回ほどそれを痛切に感じたことはなかった。
この『ローレライ』は公開前さまざまな情報番組で取り上げられ、映画内における数々のシーンが番組内で放映された。樋口真嗣氏の初のメイン監督作品ということもあってはじめのうちはかなりの期待をもってそれらのシーンを見ていたのだが、やがてあることに気づいてしまった。
CGがショボい。こいつぁマズい。
潜水艦の外装などにCGをメインに使用している映画としては致命的なんではないか。それに主要人物の一人を演じる妻夫木聡の演技も(期待しちゃいなかったが)どうにも微妙な感じであった。そんなわけで、珍しく映画館で見てみようと思える作品に出会ったにもかかわらず、そんな気持ちもどこかへ消え失せてしまったのである。

しかし、レンタルDVDで観終わった後、猛烈な後悔に襲われた。
やはり映画館で見るべきだった。
樋口真嗣が期待を裏切るなどということは、決して有り得なかったのである。

この作品の素晴らしいところは、映画の中において最も訴えるべきイメージの主軸がしっかりと根付いているという点である。作品内で具体的に言えば、それは「潜水艦の眼」ローレライ・システムとその心臓部にあたる「人間」―少女パウラのことだ。しかも、その最重要キャラクターであるパウラの素性について台詞としての説明が殆ど無いのである。パウラが自ら語った素性は「祖母が日本人」であるという点だけ。パウラがどのような人物であるかということについて鑑賞者が知り得るための手がかりは、彼女が夢に見たイメージ、手の甲に烙印されたバーコードといったように、断片的に登場する映像としてしか存在しない。これは映画作品におけるメッセージの表明としては非常に重要なことである。

「最も大事なことは台詞で語るな」

映像作品の鉄則と言えるこのポイントを、多くの鑑賞者は知らない、もしくは忘れてしまっている。
話は逸れるが、「つまらない映画」=「芸術作品としての価値の無い映画」が多くの観客を動員し、世の中にはびこるこの現状は鑑賞者たちが招いたものだと筆者は思っている。「映画の見方」を知らない輩がくだらない映画をさも感動的な作品であるかのように吹聴したり、逆に非常に価値ある映画を乏しい鑑賞眼を過信して安易に「駄作」と切り捨てたりする昨今の有様では、かつてのような日本映画の復権など望むべくも無い。

「節穴に過ぎぬ眼ならば瞑れ。口も噤め」

さて『ローレライ』のもう一つの見所はやはり特撮である。特撮映画の金字塔を打ち立ててきた樋口真嗣監督の映像センスが如何なく発揮されているといえよう。
…確かにCGに関しては、お世辞にも素晴らしい出来だとは言えない。しかし、海戦シーンにおいては躍動感溢れる「動き」と的確な「テンポ」が拙いCGの印象をカバーして余りあるほどの効果を与えている。特にテンポは映画の命である。CGによる戦闘シーンと艦内のクルーたちの慌しい動き、このカット割りの妙は絶賛されて良い。効果音と音楽も、緊迫感を醸し出すのに十二分に貢献している。

キャストの演技も良い。艦長を演じる役所広司は亡き妻への想いを胸に祖国を守ろうとする強い意志を感じさせる名演技である。台詞が無いシーンでの目や表情で訴える演技もまた素晴らしい。
パウラを演じた香椎由宇もミステリアスな雰囲気と少女としての魅力を兼ね備えており、ヒロイン役にはうってつけであったといえよう。
妻夫木聡はやはりダメであった。何を演じてもそうなんだが、何をしたいのかが良く分からない。あのふて腐れたような表情さえしなければ多少マシかとも思えるが。

以下、ネタバレを含むので注意。
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【2005/11/23 17:32】 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
映画レビュー:『ゴジラ FINAL WARS』

2004年公開
脚本:三村渉 、桐山勲
監督:北村龍平
特技監督:浅田英一
音楽:キース・エマーソン

評価(5点満点):★★★

ファンとしては今更な感も否めないが、DVDで観ました。サイトを見てまわっても、ずいぶん評価の分かれる映画。ま、そうでしょう。北村龍平に撮らせたらこうなりました、って感じの作品なんで。
大まかな傾向としては、古くからのゴジラファンにはどうもウケがよくないらしい…でも、そんなにヒドイか?少なくとも退屈はしないように作られてるとは思うんだけど…

とはいえ、予告編を見てひたすらガックリきた筆者としても評価の難しい映画ではある。何故ガックリだったかと言えば、やっぱりアクションシーン。本編を見てもひたすら気になったのは、これでもかとばかり続くアクションシーンの連続だった。ケイン・コスギの暑苦しいアクションとか、別に今さら見たくもないのである。しかも『マトリックス』ばりのカメラぐるぐる視点とか、日本刀持った女の子とか…北村龍平という人は、やはり何か勘違いしているとしか思えない。ああいう感じのアクションシーンを入れればどんな映画でも客は大喜びすると思っているのか、それとも自分の撮った映画を観に来る人間は全員自分の大ファンだと思っているのか…いずれにしても大きな間違いである。だいたい、この映画は『ゴジラ』映画なのだ。人間同士のバトルやアクションに期待して観に来る客など一人もいないし、たとえそれが素晴らしいモノだったとしても観た後の満足度を上げるのには少しも貢献しないのである。

そうは言っても、予告編を見た時点での(最低に近い)期待度に比べれば、本編はそれほど酷くもなかったというのが正直な印象。以下、ポイントごとに少し詳しく書いてみる。

設定について。
X星人と轟天号を物語の主軸に据えたのは、東宝特撮ファンへの配慮(というかウケ狙い?)だろう。設定としてはそれで十分だったのに、ミュータントなどという余計なものを加えたものだから話がややこしくなった。どう考えてもアクションを入れたいがための設定である。そのせいでただでさえ登場怪獣が多いのにゴジラの出番はもっと少なくなり、ファンの期待する都市破壊シーンや怪獣バトルのインパクトも薄れてしまった。本末転倒もいいところ。
まぁその他に関しては、話が単純なだけに矛盾も破綻も少なく、10匹以上の怪獣が登場することについても「ゴジラVSX星人の操る怪獣」という構図なので大変分かりやすい。モスラと小美人は結局何のために出てきたのかさっぱり分からないが。

配役、演技について。
いかにも予算をじゃんじゃん使ったという感じのキャスト。宝田明、水野久美といった俳優陣は昔の特撮ファンには嬉しいし、中尾彬&上田耕一の「Gフォース」コンビは平成VSシリーズに馴染んだファンにアピールしたものだろう。懐かしいだけでなく、彼らの演技力は流石なものでメインストーリーを盛り上げるのに一役も二役も買っていたといえる。
しかしメインキャストも負けてはいない。主役の松岡昌宏はアクションも台詞も練習したのがよく分かる健闘ぶり。水野真紀はいかにも、といった感じの女性キャスターながらソツなくこなしていたし、大佐役ドン・フライの傍若無人ぶりもなかなか笑えるものがあった。だが、なんと言っても素晴らしかったのはX星人統制官役の北村一輝。前統制官役・伊武雅刀の知的なキャラと好対照を成す、力任せのいかにもな悪役を見事に演じきっていた。とくにあの独特の不気味な笑みは、他の役者には真似の出来ないインパクトがある。この映画の最大の救いは、ひょっとしたらこの人の演技かもしれない。
ところが、こうした俳優陣の頑張りを台無しにしたのが二人いた。一人はヒロインの菊川怜で、相変わらずメリハリのないド下手な演技。もう一人はケイン・コスギ。カタコトの日本語で話をややこしくした挙句、とってつけたように敵の宇宙船に特攻して終わり。はっきり言ってアクションのためだけに出てきたとしか思えない。こいつらに関してはもう演技の良し悪し以前に、キャスティングのミスと言えるだろう。

特殊撮影について。
こっちもいかにも予算をつぎ込んだ感じで、序盤からやたらと爆破シーンを連発する。ビルの破壊の際に大量の破片が飛び散る描写など、意欲的ではあるのだが…派手な破壊シーンもあれだけ連続されると、個々のシーンの印象が薄れてしまう。特撮映画独特の、スローモーション撮影があまりなかったせいかもしれない。スピード感を大事にしたのだろうが、ビルやコンビナートを破壊しているのになんだかアクション映画の爆破シーンと印象が変わらないのである。カメラワークにしても、アクティブに動かすのはいいのだが、あまりにも慌ただしすぎて見ていて疲れる。ぐるぐる回せばいいというものでもない。「独特の映像センス」などと評価される北村監督だが、ようするに特撮映画をよく分かっていないのではないだろうか。
あと酷いのは造形だ。ガイガンに力を入れたのをアピールしたいらしく(確かに良い出来だが)、序盤からやたらとガイガンを前面に押し出しているが、他の怪獣をテキトーに作ったのをカムフラージュしたいのでは?と思えるほど、他の怪獣のデザインが酷い。クモンガは昔の醜怪さが無くなったうえに、口から吐くのはまるで果物入れのようなテキトーなネット。カマキラス、ヘドラは中途半端にデフォルメされてインパクトが無いし、ラドンも翼がツルツルの生地で出来ていて何だか安っぽく見える。肝心のゴジラも…「今まではあんな動きは出来なかった」などと、特技監督は動きやすさを執拗に強調していたが、普通にデザインとしてみたらハッキリ言ってガリガリで迫力不足である。映像においてスピード感を強調するのはひとつの方法ではあるが、そのために主役とも言える怪獣たちの造形美を犠牲にしていいものなのだろうか。
あと、アンギラスはアルマジロじゃなくてアンキロサウルスなんだけど…どうでもいいか。

音楽について。
音楽担当はキース・エマーソン。ロック・キーボーディストとして有名なだけあって、ハード・ロック的、ドラムン・ベース的な楽曲が劇中絶えず鳴り響く。曲としては文句無くカッコいいのだが…映画音楽としてどうなんだろう?スピード感のある映像にさらに拍車をかけていたのは間違いないのだが、うるさく感じることも少なくなかった。また、静と動のコントラストという意味では、動的映像ばかりを際立たせる結果となり、かえってマンネリ感を招く結果になってしまったかもしれない。
エマーソンは昔からクラシックのアレンジをやっていることだし、伊福部音楽のカバーをもっと入れても良かったのではないだろうか。せっかくオープニングに使ったのだから…

その他。
「ゴジラVSUSゴジラ」の対決、「やっぱりマグロ食ってるようなヤツは…」の台詞は素直に爆笑。また、レイ・セフォーやゲイリー・グッドリッジなどの格闘家が登場していたのも面白かった。こういう遊び要素は手塚ゴジラではほとんど見られなかっただけに、嬉しいポイントである。
そう言えば「地球防衛軍」とか「妖星ゴラス」といった言葉も出てきて…まぁ出てきただけなんだけど。オープニングの轟天号は、クルーといいモニターのデザインといいもろGフォースだし、氷山にミサイルを撃ってゴジラを埋没させる作戦は『ゴジラの逆襲』ですね。ついでにX星人の巨大宇宙船から小型宇宙船が大量に出てきて、その中へ一機で特攻するシーンは…『インディペンデンス・デイ』…北村龍平、そこまでエメリッヒにあてつけるか…

…そんなわけで、評価は無難な★×3に落ち着きました。言いたいことはもうそれこそ山のようにあるけど…まぁ退屈させない要素もふんだんにあって、そこまで酷いものでもない、というか、普通の映画として観ればかなり楽しめるのではないかと。
しかし難しいのは「ゴジラ映画」としての評価。スピード感を大事にしたのは分かったけれど、個人的にはやはり重厚なスタイルのゴジラが観たかった。一応最後なわけだし。それに何度も言うが、アクションを入れたり一度に多くの怪獣を登場させたりしたせいで、肝心のゴジラのインパクトが薄れてしまったのは最大のミスと言える。
まぁ歴代ゴジラはいろいろな監督が撮ってきたわけで、それがシリーズとしての魅力のひとつとも言えるから、「北村龍平版ゴジラ」として観ればそれはそれで良いのだろう。

この作品をもってゴジラシリーズは(何度目かの)終焉を迎えたわけだが、いつかまた復活する日が来るのなら、その時はまた誰も見たことの無い、それでいてファンの心を揺さぶるゴジラの雄姿が見られることを期待したい。
【2005/09/06 14:23】 | 映画 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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