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風林火山(9)
第十二回「勘助仕官」

先週の本放送も飛ばしてしまったので(汗)、今回も再放送後のレビューとなってしまいました。
武田信虎が嫡男・晴信の謀反によって追放された前回。
今回は晴信が当主となった武田家に、いよいよ山本勘助が仕官することになります。

アバンタイトルは晴信の家督継承から。家臣たちとともに御旗・盾無の前で誓いをたてるシーンは88年の『武田信玄』を思い出させます。
タイトルテーマ後、駿河の荒寺に住まう勘助を青木大膳が訪ねる場面。これは原作の序盤にあるシーンで、ようやくドラマが原作と同期することになったわけです。
しかし、オリジナル部分の占める割合が多いのが大河ドラマ。
駿河に来る板垣信方を大膳が襲い、その後勘助が助けに入って板垣の信頼を得る…という筋書を描くところは同じです。勿論これは勘助が自らが仕官するために大膳を利用しようとした策略なのですが、原作では大膳はその企みには気付かず、容赦なく襲ってきた勘助にあっさり斬られてしまいます。
しかし今回のお話では大膳は勘助の本意を察しており、勘助を返り討ちにしようとするのです。逃げ惑う勘助を追い詰めたかに見えた大膳でしたが、実は予め仕掛けられた罠(※1)に誘導されており、結局は勘助に斬り捨てられます。
…原作に忠実な方が良いとは必ずしも思いませんが、この辺りの描写はややくどかったように思います。青木大膳のキャラクターが原作よりもクセがあったので、このような展開になったのかもしれません。
板垣もまた、大膳の襲撃が勘助の策だと見抜きます。供の者を殺された板垣は勘助を斬ろうとしますが、「この命は海ノ口城で晴信様に賜りしもの」という勘助の言葉で思い直し、晴信に報告して判断を仰ぐことにします。

甲斐国・躑躅々崎館。板垣の報告を聞いた晴信は勘助を絶賛します。色々言ってましたが…(笑)ようするに、板垣を襲うという一見稚拙な策略は板垣を怒らせるためのもので、忠義心の篤い板垣なら海ノ口のことを思い出して晴信に意志を伝えてくれると見越してのことだ、と言うわけです。
近習の駒井政武の「それはお考えが過ぎるように思います」というツッコミに吹きそうになりましたが(笑)、実際冒頭の勘助の様子を見る限りそこまで考えていたようには思えません。
まぁ勝手に過大評価してくれる分には勘助にとってはラッキーなのですが(笑)

さて、信虎が甲斐を追われたという報は諏訪にも伝わります。
諏訪家臣・矢崎十吾郎に仕える平蔵は、知らせを聞いて涙します(泣き笑い?)。十吾郎の娘・ヒサも再登場。
当主の頼重も、信虎に娘を奪われそうになっていただけに一安心。その由布姫も久々に登場しますが台詞ナシ…

庵原忠胤・之政親子に別れを告げ、勘助は伝兵衛とともに甲斐へ向かいます。
甲斐に入ったその日は地侍の家に泊まりますが、そこで春日源五郎という若者に出会います。後の香坂弾正(※2)ですが、今後の展開に関わってきそうな気配です。
翌日、勘助は躑躅々崎館で晴信と久しぶりに対面を果たします。知行百貫と聞いていたところを二百貫と言われ、さらに晴信の名の一字をとった「晴幸」という名を与えられて驚く勘助。当然居並ぶ家臣たちのやっかみ半分の質問攻めにあい、「騙り者」だの散々言われますが、晴信の機転で座は鎮まります。
その後館に呼び出された勘助ですが、そこに居たのは晴信ではなく甘利虎泰でした。数人の家来に勘助を取り囲ませ、行流の腕を見せろという甘利。勘助は「迷惑至極」と言い捨てて去ろうとしますが、家来に押し止められさらに竹刀で肩を打ち据えられます。それを眺めてほくそ笑む甘利…邪悪です(笑)。竜雷太さん、完全に悪役モード突入です。
原作では一方的に打ち据えられる勘助ですが、ここでは晴信が登場。勘助は真剣での勝負を願い、聞き届けられます。そして鬼美濃こと原虎胤が勘助の相手として名乗り出、二人はついに刀を抜き合わせます。

今回やっと勘助の仕官がかなったわけですが、ずっと浪人だったこれまでのことを思うと些か性急な展開だったようにも思えます。
次回は「招かれざる男」…勘助もすんなりと武田家に馴染むというわけにはいかないようです。

※1…この罠の描写がどうにもわかりにくく、詳細は不明です。地面に何かを仕込み、それを大膳が踏んだのだとは思いますが…

※2…「高坂弾正」とも表記。今まではこの表記の方が多用されていましたが、ここではドラマの設定に従い「香坂」と書くことにします。
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【2007/03/31 15:51】 | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
さらば無責任時代
「日本一の無責任男」植木等さんが死去 (YOMIURI ONLINE)

 映画「ニッポン無責任時代」や「スーダラ節」の歌などで、
日本中に笑いを振りまいたクレージーキャッツのメンバーで、
俳優の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、
東京都内の病院で呼吸不全のため亡くなった。80歳だった。

 告別式は故人の意向により、近親者のみで行う。
連絡先は渋谷区神宮前4の2の12のワタナベエンターテインメント。

 三重県にある浄土真宗の寺の三男に生まれ、11歳で上京。
東洋大学卒業後、いくつかのバンドを経て、ハナ肇さん率いるクレージーキャッツに参加。
ハナさんや谷啓さんらとともに主要メンバーとして、斬新な音楽コントを演じ、注目された。

 1959年に始まったバラエティー番組「おとなの漫画」(フジテレビ系)、
61年の「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)など、テレビでグループの人気が爆発。

 破竹の勢いに乗って製作された「無責任」シリーズや「日本一」シリーズなどの
映画では、高度経済成長を風刺するような軽薄なサラリーマン役を演じ、
同年代から圧倒的な支持を集め、60年代の日本喜劇を引っ張った。

 また、主題歌の「スーダラ節」「ハイそれまでヨ」などから、
「わかっちゃいるけどやめられない」などの流行語が生まれたほか、
「お呼びでない」などのせりふで日本中から愛される存在となった。

 70年代以降は演技派への転身を図り、渋い脇役で活躍。
86年には木下恵介監督「新・喜びも悲しみも幾年月」で日本アカデミー助演男優賞を受賞。
90年代に入っても、数多くの番組やCM、映画に出演していた。
6月公開予定の映画「舞妓(まいこ)Haaaan!!!!」が最後の仕事となった。
93年に紫綬褒章を受章。

(2007年3月27日20時48分 読売新聞)
世代が違うので植木等さんの全盛期に関して詳しく知る機会はなかったのですが、それでも幼い頃テレビで見た植木さんの姿は深く印象に残っています。
高校時代、吹奏楽部の定期演奏会で『スーダラ節』や『ハイそれまでヨ』などのメドレーを演奏したこともありました。

昨年末、青島幸男さんも亡くなられましたね。
植木さんや青島さんに昭和の「古き良き時代」のイメージを重ね合わせる人も多いのではないでしょうか。
90年代、すでにそういった時代が遠くなったという雰囲気は漂っていましたが、こうして訃報に接するとどうしようもない時の流れを改めて思い知らされるような気がします。

あらゆる意味で「黄金時代」の象徴…
『無責任』シリーズが上映された時期は東宝特撮映画の黄金期とも重なっていただけに、いっそう感慨深いものがあります。
もうあの時代は戻っては来ない。
それだけは確かなのでしょう。

ご冥福をお祈り致します。
【2007/03/28 16:03】 | 時事・政治 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風林火山(8)
第十一回「信虎追放」

前回晴信らの謀反によって駿河へ放逐された信虎ですが、本人は未だ気付いていないのですね(笑)
今回が本当の世代交代、そして父子の別れになります。

んでアバンタイトルなんですが、どうもここで使われている音楽はあまり良くないですね。
千住明氏の音楽はメロディがしっかりしていて個人的には好きなのですが、音がしょぼいのでアンサンブルが上手く聞こえないのです。スタッフが悪いのか、演奏がもともとダメなのか…
まぁこれは余談ですが。

タイトルテーマ明け、晴信が信繁、諸角、小山田の三人に信虎の駿河行きの真相を打ち明けるという緊迫の場面で始まります。
信虎は信繁に家督を譲ろうとしていただけに、板垣、甘利、飯富ら晴信派は緊張。この場面で晴信は、小山田信有に「もし弟が逆らったなら、力で抑えることが出来るか」と問われ、「力はいらぬ。心だ」と答えます。
晴信に説得される信繁ですが、もともと兄と敵対する気は毛頭無く、堂々と晴信に従うことが出来るのをむしろ喜びます。
…またプチ余談ですが、この頃の甲斐武田家は「兄弟仲が良く親子仲は最悪」という変わったジンクスがありました。晴信と信繁も非常に強い信頼関係で結ばれており、第四次川中島合戦の危機の際には信繁はまさに命懸けで兄を助けることになります。

一方駿河の今川家では、信虎を迎えて連歌の会が開かれていました。
信虎の上の句「見る人の心のそこにすむ月や」
これに対して義元が受けた下の句は…
「晴れし心に戻る甲斐なし」
今川方は晴信と通じているので凄まじい皮肉なのですが、信虎は気付きません。
信虎が去った後、義元の御前に呼ばれた勘助は信虎を迎えに行くように命じられます。
「(信虎は勿論)供の者も傷つけないよう」と雪斎が念を押した後、寿桂尼が言い放った一言↓
「多少ならば構わぬ」
…思わず吹いてしまいました(笑)
演じているのは藤村志保さんですが、『太平記』の上杉清子役とのギャップが…

この後晴信は家臣らを連れて国境に向かうのですが、その時伝兵衛の台詞の中に「力じゃねえ、心だ」という言葉がありました。この台詞は妹のミツについて言ったものですが、どうもこの言葉が今回の話のテーマとなっているようです。

さて相模では北条氏綱が死の床に就き、氏康が跡を継ごうとしていました。
ここで変わった演出が入ります。
氏綱の遺した『北条氏綱公御書置』の内容を氏康役の松井誠さんが読み上げ、さらにその言葉が字幕となって流れるのです。バックには信虎の帰還を阻止しに向かう晴信の軍勢…
氏綱の遺訓を、そのまま武田家の現状に当て嵌めるという皮肉な演出なのですが、これには賛否両論ありそうです。
個人的にはさして気になりませんが、大河ドラマとしては『新撰組!』のOP歌詞テロップや『義経』の最終回大爆発(笑)に匹敵する異例の演出なのは間違いないでしょう。

甲斐との国境に来た信虎は、立ち塞がる家臣たちに矢を射かけられ、ようやく晴信に謀られたことを察します。
このまま引き返してほしいと願う晴信の言葉にも耳をかさず、怒鳴りまくる信虎(怖い)ですが、信繁までもが晴信に従う意志を固めたことを知り呆然とします。そこへ勘助登場。ついに信虎は駿河へと引き返します。
これが晴信・信繁と信虎との今生の別れになるのですね。

息子の企みには鈍感だった信虎ですが、後ろからついてくる勘助の殺気にはすぐさま気付いたようです。猛獣かおまいは(笑)
突然馬をあらぬ方向へ走らせ、さらに追ってくる勘助に斬りつけます。勘助も刀を抜き、長年憎んできた信虎と存分に太刀を合わせます。合間にミツの回想カットを挟みながら…ちょっとここは演出過剰だったようです。青木大膳が斬りつけた意味もよく分かりませんし。
とにかくこれで信虎は駿河に留まることになり、二度と甲斐へ戻ることはなくなるのです。

今回はなかなか盛り沢山の内容でした。勘助の影が薄い気がしますが(笑)
これで仲代達矢さんの信虎が見られなくなると思うとちょっと淋しいです…
次回は「勘助仕官」…て早くね?
まいいか。
てか明日ですね。今日はこの辺で。
【2007/03/24 15:58】 | 歴史 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
人間ドラマ
昨日は熱が下がらず終日寝ておりましたので、F1のレビューも『風林火山』の感想も書くことが出来ませんでした…

今朝になってようやく熱が下がったので、鼻じゅるじゅるいわせながらもなんとか仕事に行きました。
そして夕方帰ってきたのですが…

マンションのエレベーターで自分の部屋の階まで上りドアから出ると、隣の部屋の前に立ってチャイムを鳴らし続けている女性が見えました。
驚いて立ちつくしていると、僕の気配に気付いたからなのかチャイムを鳴らす手を止め、真っ直ぐエレベーターの方へと去って行きました。
擦れ違いざまに見たその女性は顔を半分手で覆い隠し、泣いているようでした…

一体、何があったんでしょうか…?

その時はフラれたのかと思いましたが、よく考えたらお隣りの住人は女性でした(ちょwww)
お隣りは昨年秋くらいに引越して来たばかりで普段は全く面識がなく、てか顔も覚えてません(ヒドスwww)

というわけで推測のしようがありませんね(笑)
オチの無い話ですみません。

『風林火山』第十一回の感想は土曜の再放送後を予定しております。
【2007/03/19 22:36】 | 日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高熱日
熱が出ました。
動けない程の熱が出たのは久しぶりです。結構辛いものですね…
そしてどういう訳か血を吐きました。
大丈夫なんでしょうか。

というか寒すぎです。
とっとと春になって欲しいもんです。
【2007/03/17 22:39】 | 日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
開幕ヽ(´ー`)ノ
本日、いよいよ2007年F1の初戦オーストラリアGPが開幕しました。

今シーズンの見所は…といっても多すぎて書ききれないのですが、僕が素人なりにいくつか挙げるとすれば以下のことになるでしょうか。

◆タイヤワンメイク
…ミシュランが撤退したことにより、今年は久しぶりにブリヂストン一社によるタイヤ供給となります。
タイヤはマシンの速さを決定づける最重要ポイントのひとつであるため、各チームの差が縮まり、混沌としたレースが多くなるかもしれません。結果を左右する要素としては、不安定な天候下でのタイヤ選択くらいでしょう。
ただ、昨年までミシュランを使用していたチームは序盤での苦戦も考えられます。開幕前のテストで得られたデータをどれだけ活かせるか、それが最高のスタートを切れるかどうかの鍵となりそうです。
長年ブリヂストンとタッグを組んできたフェラーリは、この点でも他のトップチームより優位に立つことが予想されます。

◆移籍ドライバーの明暗
…「皇帝」ミヒャエル・シューマッハがステアリングを置き、トップチームはがらりと変わった顔ぶれで今シーズンを戦うことになります。
2年連続のワールドチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソはルノーからマクラーレンへ。そして長らくチャンピオン候補として上位を駆けてきたキミ・ライコネンはマクラーレンから皇帝不在のフェラーリへと移籍しました。
優秀なドライバーであっても移籍直後にすぐ結果を残すことは難しく、特に昨年信頼性に問題のあったマクラーレンに乗るアロンソは苦戦も予想されています。
ライコネンにしてもフェラーリでいきなり結果を出せるかどうかは微妙なところです。シューマッハでさえフェラーリに移籍してから再びチャンピオンになるまで5年の歳月を要したのですから…
しかし、現在のフェラーリにはそのシューマッハの残した遺産ともいうべきノウハウがあります。昨年、移籍したばかりのフェリペ・マッサもいきなり2勝をあげることが出来たわけですし。
あとはチームとして勝つための進化をどうやって続けていくか。マシン開発能力が疑問視されているライコネンについては、今後を考えればむしろ後半戦が鍵になってくるのかもしれません。

◆若手ドライバーの台頭
…トップドライバーの移籍だけでなく、今年は若いドライバーも注目されています。
チャンピオン不在のルノー、アロンソの後釜に座ったのはなんと新人のヘイキ・コバライネン。さらにライコネンの去ったマクラーレンでも、新人で黒人初のF1ドライバー、ルイス・ハミルトンがシートを獲得しています。
これに加え、昨年デビューしたニコ・ロズベルグやロバート・クビサなども今年の飛躍が期待され、次世代を担う若手ドライバー同士の戦いも熱くなりそうです。
…とはいえチャンピオンのアロンソはじめ、マッサにしてもバトンにしても年齢からすれば十分若いのですが(笑)
むしろ古参となったバリチェロやクルサードの意地の走りを期待してしまう自分がいます…

◆ドライバーズタイトルの行方
…今年のチャンピオン候補に関してはいろいろと言われていますが、個人的に候補を挙げるならばアロンソ、ライコネン、マッサの3人に絞られるのではないかと思います。
上に書いたようにアロンソ&ライコネンの最有力の二人はそれぞれ問題を抱えているため、すんなりと一騎打ちの形にはならない可能性があります。そうなると浮上してくるのは、昨シーズンをシューマッハとともに戦い、最終戦の母国ブラジルGPを制した勢いのあるマッサではないかと思うのです。
ただ…マッサは予選一発の速さはあるのですが、決勝のコース上でのバトルとなると脆い面があるのが気にかかります。やはりシーズン終盤戦はもつれたタイトル争いになってくるのでしょう。
それでもあえて一人を予想するのなら…キミ・ライコネンと言っておきます。
予想というより、跳ね馬のマシンで今年こそ悲願を達成して欲しいという願望の方が強いのですが。

…といった感じでまた長くなってしまいました(笑)
オーストラリアGP決勝は明後日。
テレビ放映は昼になります。
新しいカラーリングを施したマシンが多いので、何か衝撃的な画を目撃するような気がしてなりません(笑)
こうやって書いているとますます楽しみになってきます。
【2007/03/16 20:12】 | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
淋しい答え
昨日は北大交響楽団の卒業演奏会でした。
ちえりあという比較的小さいホールで、フル編成でマーラーの交響曲をやってしまう。
しかも入場無料。
冷静に考えると、かなりとんでもない演奏会です。
勿論、良い意味で(^-^)

感想…と言ってもどんな風に書いたらいいのか、正直分からないのですが。
とりあえず、細部への評価はさておいて。
白々しい誉め言葉もさておいて…

…心が震えました。
それは一瞬のことでしたが、それだけで十分足を運んだ意味がありました。

思えば一昨日のエントリーを書いてから、随分といろいろなコトを考えていました。
後輩達には、どんな言葉をかけて労おうか。
色紙には、どんなことを書こうか。
打ち上げでは、どんな話をしようか。
でも、そんなのは全て余計なことだったようです。
後輩達一人一人の音を、音を奏でることの喜びを、しっかり受け止めることが出来たという確信。
たとえ伝わらなくとも、それだけがあれば。

そして彼等が残してくれた「答え」は、言葉にならない一抹の淋しさ。
もう、あの場所に戻るコトは出来ない。
そう、はっきりと教えられたような気がします。

腐りかけた僕に引導を渡してくれたのは、やはり彼等でした。
【2007/03/15 23:21】 | 日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
時の逆流
今日は朝から凄まじい吹雪でした。
今さら真冬に逆戻りですかそうですか。

昨日は久しぶりに「演奏会」と名の付くものに行って参りました。
後輩の卒業演奏会…それも室内楽のみの日でしたが。

不思議なものです。
ステージに立って演奏する後輩達の姿を見ていると、自分もつい昨日まで同じようにステージ上にいたような気がしてくるのです。
時計の針が逆回りしていくような感覚に包まれ…気が付けば肝心の演奏はほとんど記憶に残っていませんでした。

過去の残骸が後髪を引くのか。
理想の切れ端が手を差し延べるのか。
答えは遠く霞んで、まだ見えては来ません。

明日は「ちえりあ」ホールでオーケストラの部の演奏があります。
後輩達に答えを求めるなんて浅ましいような気もしますが、それでも彼等ならきっと何かを残してくれる…
そう信じて、彼等の「音」を聴きに行こうと思っています。
【2007/03/13 23:32】 | 日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風林火山(7)
第十回「晴信謀反」

今回は武田晴信がいよいよ父・信虎への謀反を実行に移すお話です。

冒頭は駿河で鬱々と日々を過ごす山本勘助の様子から。海ノ口城での敗戦以来、すっかりやる気を無くしてしまっているようです。
タイトルロールが終わると、甘利虎泰の館で板垣信方が晴信の心中を明かす場面になります。
ここからは目まぐるしい場面転換。甘利邸→今川邸→勘助の寺→再び甘利邸と移り変わり、晴信・今川・勘助の三者の思惑が浮かび上がってきます。
このシーンの流れには全く無駄が無く、尚且つそれぞれの人物の考えが明瞭に読み取れる構成となっています。間の取り方ひとつとっても緊張感があり、こうした組み立ての巧さは近年の大河の中では群を抜いているといえるでしょう。

一方信虎ですが、晴信を放逐する企みを進めながらも信濃攻めの手を休めません。娘婿の諏訪頼重、さらに北信の村上義清とも共同して海野城を落とすと、ついにはあの真田幸隆のいる小潟にまで攻め入ります。
武田・諏訪・村上の連合軍に包囲されては、さしもの幸隆も打つ手無しかと思われますが、しかし頼重も義清もそれぞれ胸中は複雑であり、この同盟も決して一枚岩ではないようです。
この間、晴信の心中を知る家臣の一人である飯富虎昌が、同僚の教来石景政(のちの馬場信房)に協力を求めます。景政は虎昌の説得に快く同意しますが、このやりとりをひそかに聞いていた勘助もまた、武田家中の騒動の全容を知ることになります。

大軍を前にした幸隆はやはり成す術なく、家臣たちを押しとどめて妻子とともに上州の長野業政のもとへ落ちのびることを決意します。
この場面、やたら家臣が泣いていたりして悲劇的な演出をしているのですが、肝心の合戦描写がほとんど無いためいまいち共感出来ませんでしたね。幸隆の前に現れた勘助も、ともに上州へ行くわけでもなく、何を考えているのかよくわからないところです。
まぁ話の流れが晴信の謀反に傾いてしまっているので、真田一族の影が薄くなってしまうのは仕方のないことなのですが。

信濃攻めも一段落した天文10年6月、いよいよ「その時」がやってまいります(笑)
今川義元から届いた書状に応じ、信虎は僅かな共を連れて駿河へと向かいます。その書状が晴信と義元との密約によってもたらされた物とも知らずに…
駿河に戻った勘助は、義元の意向で信虎を迎えに行く役目を任されます。
かつてミツに作ってもらった眼帯を手にし、ほくそ笑む勘助…どう見ても殺る気満々です(笑)。恨み捨てたんじゃなかったんかい。

ということで、次回は「信虎追放」。信虎が息子に嵌められたことにようやく気付きます。
果たしてどのような展開が待っているのでしょうか。
【2007/03/11 21:50】 | 歴史 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
風林火山(6)
<戦国お家騒動いろいろ>

今日は本放送前日ですが、次回は武田家の家督相続問題がテーマということで、他の有名な戦国大名がどのようにして当主の座についたのかという例をちょっとまとめてみたいと思います。
自分の頭の中を一度整理するためでもありますが…

〇今川義元
4歳で仏門に入り「梅岳承芳」と名乗っていた義元ですが、天文5年、当主である兄・氏輝が急死したことで家督争いが勃発します。
異母兄にあたる玄広恵探を当主に据えようとする福島越前守正成らとの間に戦端が開かれますが、太原崇孚雪斎の策により恵探派は孤立。承芳は見事勝利を収め、還俗して正式に家督を継ぎ「今川義元」と名乗ります。
この「花倉の乱」のエピソードは、第五回「駿河大乱」でも詳しく描かれました。

〇北条氏康
天文10年に父・氏綱が死去したことで嫡男である氏康が家督を継ぎますが、氏綱の存命中に既に次期当主としての態勢は出来ていたようです。
波瀾万丈の生涯を送った北条早雲を祖とする小田原北条家ですが、その家督継承は第5代当主・氏直に至るまで非常にスムーズに行われており、この時代の大大名家としては稀有な例と言えるでしょう。
世代交代の際に無用の波風を立てず結束を重んじたことが、武田・上杉・織田といった強敵と渡りあうだけの勢力を維持しえた要因のひとつなのかもしれません。

〇上杉謙信
越後守護代・長尾為景の次男として生まれ、天文12年に元服して「長尾平三景虎」と称します。
父の死後、家督及び守護代職は兄・晴景が継いでいましたが、長尾氏の庶流や国人の反乱が相次ぎ、越後は不穏な情勢となっていました。
晴景に不満を抱く国人衆はやがて景虎に期待を寄せるようになり、兄弟の対立が次第に鮮明になっていきます。
天文17年、越後守護・上杉定実の調停により、遂に晴景は景虎に家督を譲り隠居することになります。さらに2年後、定実が亡くなり越後上杉家の家系が途絶えたため、景虎は実質的に越後国主の座につくことになるのです。
関東・北信・北陸と駆け巡る謙信の戦いの生涯もまた、骨肉の争いを経て始まったものなのでした。

〇織田信長
織田信秀の嫡男として生まれた信長は、天文15年に元服、その5年後、父の死にともなって家督を相続します。
しかし、父の葬儀の席で抹香をぶちまけるなど、奇怪な行動が目立つ信長に不安を抱く家臣も多くいました。
弘治2年、林秀貞・柴田勝家などが信長の弟・信勝を擁して挙兵。信長はこの反乱を鎮圧します。
さらに翌年、信勝派は再び謀反を企てますが、信長は自ら病気を装うという策を用いて信勝を殺害し、家中の内乱に終止符を打ちます。
兄を隠居に追い込んだ謙信と、弟を返り討ちにした信長。この二人の家督相続のエピソードはまさに対照的なものと言えるでしょう。

〇大友宗麟
豊後の国主・大友義鑑は嫡子である義鎮(のちの宗麟)を疎み、側室の子である弟の塩市丸に家督を譲りたいと考えていました。そのため大友家中では家臣らが義鎮派と塩市丸派に分かれ、互いに勢力争いを繰り広げるようになったのです。
天文19年、義鑑は義鎮を強引に湯治に行かせ、その間に義鎮派の家臣を粛清しようと目論みますが、逆に義鎮派による襲撃を受けてしまいます。この「二階崩れの変」によって塩市丸とその生母が死亡。義鑑も負傷し、その傷がもとで程なくして亡くなってしまいます。
義鎮は見事な手腕を発揮してこの事件を収拾。その後、名実ともに大友家の当主として家中を統率していくことになります。
…「風林火山」とはあまり関連がありませんが(笑)、戦国大名のお家騒動としてはかなり有名なお話なので紹介してみました。

…一口に「家督を継ぐ」と言っても、戦国時代には大変なことだったのですね。というか、いつの時代にも骨肉の争いというのは絶えないものなのかもしれませんが。
この他にも、奥州あたりに目を向ければまだまだたくさんのエピソードがあるのですが…キリが無くなるので(笑)、本日はこの辺で。
【2007/03/10 22:38】 | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
生きていてもいいですか
「生きるべきか死ぬべきか」
…シェークスピアを引用するまでもなく、「生」と「死」とは対立する概念として長らく認識されてきました。

小さい頃、ふと疑問に思ったことがあります。
「生きる」という動詞はあくまで継続する状態を表すのに対し、「死ぬ」という動詞は「生」から「死」への状態の変化、転換を意味している。
とすれば、「死ぬ」という言葉の対義語としては「生まれる」の方がより適切なのではないか。
「生きる」ことと「死ぬ」こととは、本当に対立する概念なのだろうか、と。

今もってこの疑問に明確な答えを与えることは出来ずにいるのですが、一応、自分なりには「生」と「死」に対する一定の考え方は持っています。
正確には、「生」に対するところの「死」の定義といったところでしょうか。

「死」とは、「生」を具現化するための境界である、というのがその結論です。

文明が生まれる以前の古代から、人間は病的なまでに死を恐れてきました。
近代になるまで、特に富裕階級に属する人々の不老不死への憧れは、実に様々な形で存在し続けてきたのです。
しかし…
死なないというコトは、本当に幸福なことなのでしょうか。
永遠に生き続けるというコトが、本当に人類にとっての永遠の理想なのでしょうか。

「死」への限りない恐怖の行き着く先が「不死」という夢だったのだとすれば、その真に求めるところは他でもない「生」の実感だったのではないか。
「生」を常態として日々を過ごせる人々にとっては、「生きている」ということを実感として受け止めることが非常に困難なものになります。
「死」を思い、「死」を恐怖してこそ、自分が今「生きている」ということがリアリティを帯びてくる。
「生きる」コトさえ忘れてしまった本当の「不死」とは、苦痛以外の何物でもないのかもしれません。

「生」が常態となった人々が多数を占める現代において、「死」は身近なものではなくなりつつあります。
そのためなのか、「死」を思い、「死」を考えながら生きる人たちの数はかえって増えているように思えてなりません。
いじめを苦にした自殺。
精神の不安定がもたらす自殺。
自ら「死」を選ぶ人々の本当の悲劇は、本来「生きる」ための境界として設定されるべき「死」の瞬間が、まさに「生」のど真ん中で現実になってしまったという点にあるのではないでしょうか。

もうひとつ…「生」を具象化するための試薬が「死」なのだとすれば、逆に「生」に対する疑問が「死」という結果を導くかもしれない、ということがあります。
生きていてもいいのだろうか。
生きることに意味があるのだろうか。
生きるだけの価値が自分にはあるのだろうか。
…その答えについては、あまり深く考えるべきではないのかもしれません。

ちなみに今回のタイトルは、中島みゆきさんのアルバムから引用させていただきました。
ショッキングなタイトルですが、内容的にも明るい曲が一つもないという凄い作品です(笑)
死への渇望か、生への執着か。
歌詞の解釈は、おそらく聴く人によって分かれることでしょう。
【2007/03/09 23:35】 | 随想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風林火山(5)
第九回「勘助討たれる」

衝撃的なタイトルですが、実際に勘助が首を取られる訳ではありません。武田方に捕らえられた勘助を、晴信は斬ると見せかけて寸前で刀を止め「討ちとった」と宣言して放逐してしまいます。
勘助の能力を見込んで生かしたのか、それとも単に生き恥をさらさせようとしたのか…晴信の意図はこの段階では不明です。
勘助はこのあと平蔵とも別れ、山中を放浪し姿を消してしまいます。おかげで勘助が出てくる場面が今までで最も少ない回となってしまいました(笑)

その平蔵ですが、諏訪で行き倒れになっているところを諏訪家臣・矢崎氏の娘ヒサに救われ、そのまま矢崎氏の家来となります。
諏訪では領主・諏訪頼重のもとに武田信虎の娘・禰々が嫁ぎ、諏訪と甲斐の間に誼みが結ばれます。また信虎は今川義元のもとにも長女を嫁がせ、信濃攻略の準備を着々と進めます。
信虎は諏訪を訪れた際、頼重の娘と対面。後に晴信の側室となり、武田家中に波乱を巻き起こす由布姫の初登場です。
しかしその後信虎は、頼重に対して由布姫を側室として差し出すことを暗に要求します。ますます邪悪になってゆく信虎(笑)

1541年正月、信虎は遂に自らの企みをあからさまに示し始めます。
その企てとは即ち、晴信の廃嫡と信繁への家督継承。その為に晴信を駿河へ追放することを画策するのです。
父の意図を感じ取った晴信は、とうとう謀反を起こす意思を板垣信方に漏らします。

節目の十回目となる次回のタイトルは「晴信謀反」。
いよいよこれまでで最大の衝撃が武田家を襲います。
駿河にいる勘助は、この事件にどのように関わることになるのでしょうか。
【2007/03/04 21:48】 | 歴史 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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