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中世の山城・楯山城と左沢(BlogPet)
希汀の「中世の山城・楯山城と左沢」のまねしてかいてみるね

史跡を作る材料と言われてまもなく廃城と川沿いの特徴は、全国の生活に同山城跡の平地が段々畑の子孫にたくさん連なってきましたので、14自治体や地域史研究会など、左沢氏の跡が一望できますが非常に参加者は全国有数の攻撃をテーマに同山城跡を忍ばせますがあった一般住民もの跡指定を生かしまちづくり大江では大江で全国の初代別当ですらマイナーです、左沢(くるわ)楯山城サミット宣言を申請して敵を追記しておきますが同町の役割を抱える全国有数の現地見学するなどのあいさつで、はい(笑)。左沢楯山城跡で開幕♪
城内でしょぼい写真は「地域住民とともに山城を保存・活用し、地域の誇りとしていくことが次世代への歴史遺産の継承につながる」とか県内で全国有数の現地見学するなど、全国山城紹介した竹!
中世の町並みがあった一般住民も有名な――という人物は最上氏のほか、一般住民は楯山城とか。

*このエントリは、ブログペットの「カマタリ」が書きました。
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【2008/10/30 08:51】 | ブログペット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
参加(BlogPet)
きょう希汀は、参加するつもりだった。

*このエントリは、ブログペットの「カマタリ」が書きました。
【2008/10/23 08:49】 | ブログペット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
中世の山城・楯山城と左沢
史跡・山城を生かしまちづくり 大江で全国サミット(山形新聞)
2008年10月18日 22:02

 大江町で18日、第15回全国山城サミット連絡協議会大江大会が始まった。参加者が同町の左沢楯山城跡を見学するなどして山城を生かしたまちづくりについて考えた。

 同サミットは、山城の史跡を抱える全国の市町村が持ち回りで毎年開催している。県内では大江町のほか、米沢市と上山市が同協議会に加盟している。

 今大会には全国各地の14自治体や地域史研究会などの10団体、一般住民も多数参加した。町民ふれあい会館で開かれたサミットは、同協議会会長の渡辺兵吾町長のあいさつで開幕。各地の山城紹介や文化庁文化財部記念物課の鈴木地平文部科学技官による記念講演などがあり、「地域住民とともに山城を保存・活用し、地域の誇りとしていくことが次世代への歴史遺産の継承につながる」と全国山城サミット宣言を行った。

 また、14世紀後半に築城されたと推定される左沢楯山城跡の現地見学会も開かれた。参加者は敵の攻撃を防ぐために人工的に登りにくくしている地形や建物跡が見つかっている場所など、さまざまな痕跡を見学。中世の人々の生活に思いをはせながら山城の跡を散策していた。町は現在、文化庁に同山城跡の国史跡指定を申請している。

 19日午前9時半からは、山城とまちづくりをテーマにしたシンポジウムが開かれる。

全国山城サミット連絡協議会に参加した一般住民の一人です、はい(笑)。

左沢(あてらざわ)楯山城という、全国的にはマイナーな――というか県内ですらマイナーな――城跡について、いろいろと学んで参りました。
マイナーですが、中世の山城としては全国有数の規模であるとか。
城跡のある大江町左沢という土地は、山形県のちょうどど真ん中にあたる場所で、古くは最上川の舟運で栄えた町です。
左沢楯山城は14世紀、左沢元時によって建てられたと言われています。元時という人物は、鎌倉幕府政所の初代別当であった大江広元の子孫にあたります。
左沢氏が最上義光に滅ぼされた後、城は最上氏の所有となりますが、元和八年に最上氏が改易されてまもなく廃城となってしまいました。

携帯でしょぼい写真を何枚か撮ってきましたので、紹介したいと思います。

曲輪

左沢楯山城の特徴は、小さな曲輪(くるわ)が非常にたくさん連なっているという構造にあります。
曲輪というのは坂や崖を平らにし、建物や柵を作って敵を防いだ防御施設です。
写真では分かりにくいですが、幾つもの平地が段々畑のように階層構造になっています。

「寺屋敷」

上の写真は「寺屋敷」と呼ばれている場所です。
城内で最も広い平地であり、迎賓館の役割をしたとみられる大きな建物の跡が発見されています。

矢竹(やだけ)

矢竹とは、その名のとおり矢を作る材料となった竹。
城跡の至るところに生えており、この土地に戦乱の時代があったことを忍ばせます。

「日本一公園」からの眺望

城跡である山の一角は楯山公園と呼ばれ、観光スポットとなっています。
別名はなんと「日本一公園」!
地元の住民はなんら違和感無く「日本一」と呼んでいます。
しかし、ここからの眺めは実際素晴らしい。
最上川と川沿いの町並みが一望できます。

そうそう。
全国的にも有名な『最上川舟唄』は、この町が発祥の地であることを追記しておきます。
【2008/10/19 18:19】 | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
獲得したかったみたい(BlogPet)
希汀と、獲得したかったみたい。
だけど、希汀とスタートも出席したいです。

*このエントリは、ブログペットの「カマタリ」が書きました。
【2008/10/16 08:57】 | ブログペット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
上杉家の城下町・米沢 (2)
引き続き、米沢市を訪れたときの写真を紹介していきます。

上杉謙信公家訓十六ヶ条
上杉謙信公家訓十六ヶ条

上杉神社にある、上杉家家訓の碑です。
上杉謙信公が遺した言葉と伝えられています。

一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を教う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育つる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇みある時は悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず


いかにも謙信公らしい言葉が並んでいるように思えます。
一つ一つ読んでいくと、なんだか身が引き締まる思いがしますね……

上杉神社にある碑をもうひとつ。

霜は軍営に満ちて……

上の写真は、天正五年に能登を攻略したときに謙信公が詠んだとされる歌の歌碑です。
書き下し文を下に掲載してみます。

霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
さもあらばあれ家郷の遠征を憶う


ダイナミックな山々の風景と、秋の風に吹かれる清涼な夜空が目に浮かぶようです。
軍略とともに文学的才能をも併せ持っていた、謙信公の一面を今に伝える石碑といえるでしょう。

さて、次は同じく米沢市にある上杉家廟所です。

上杉家廟所
上杉家廟所入口

威風堂々とたなびく『毘』と『龍』の軍旗。
ここは謙信公をはじめとする、歴代米沢藩主のお墓です。
4代上杉綱憲以降は、『忠臣蔵』で有名な吉良上野介義央の子孫が藩主の座に就いていくことになります。

上杉家の記憶を残す街、米沢。
時間があれば、またゆっくり訪れてみようかと思っています。
【2008/10/10 23:57】 | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
希汀で死去するはずだった(BlogPet)
カマタリは、希汀で死去するはずだった。

*このエントリは、ブログペットの「カマタリ」が書きました。
【2008/10/09 07:50】 | ブログペット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
上杉家の城下町・米沢 (1)
上杉謙信公之像
『上杉謙信公之像』


なんだかんだ言っても、画像の少ないブログは淋しい。
ということで……
今年4月、上杉家ゆかりの地・米沢へ行ってきたときの写真を少し紹介したいと思います。
甚だ季節外れな上に、枚数も少ないのですが……

米沢市は上杉景勝の腹心であり、来年の大河ドラマの主人公として知られる直江兼続の治めていた土地です。
関ヶ原合戦後、上杉家の領土はこの米沢30万石のみに削られ、以後幕末まで上杉家の統治のもとで栄えていくことになりました。

上の謙信公の像は、上杉神社の参道沿いにあったものです。

上杉神社正面
上杉神社正面

上杉神社は米沢城址内にあり、景勝が米沢へ転封されて以来の長い歴史を持っています。
ここには謙信公のほかに、米沢藩中興の祖である上杉鷹山公も合祀されており、まさに戦国から幕末にかけての上杉家の歴史が刻み込まれた場所といえそうです。
【2008/10/08 03:03】 | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
名優の最期
緒形拳さんが急死、71歳 「楢山節考」など映画やテレビで活躍 (MSN産経ニュース)
2008.10.7 07:38

 映画「楢山節考」「復讐するは我にあり」など、人間味あふれるエネルギッシュな演技で活躍した俳優の緒形拳(おがた・けん、本名明伸=あきのぶ)さんが5日に死去していたことが7日、分かった。71歳だった。東京都出身。

 昭和33年に新国劇に入団し、俳優の辰巳柳太郎さんに師事。40年、NHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役で人気を得た。

 日本を代表する個性派俳優として幅広く活躍。主な出演作に映画「鬼畜」「火宅の人」、ドラマ「必殺仕掛人」「峠の群像」など。58年の「楢山節考」(今村昌平監督)は、フランス・カンヌ国際映画祭の最高賞に輝いた。

 平成12年に紫綬褒章を受章。俳優の緒形幹太さんは長男、緒形直人さんは次男。

 フジテレビ系で9日スタートの連続ドラマ「風のガーデン」に出演。9月30日に東京都内で行われた記者会見にも出席したが、その後、体調を崩したという。

(後略)

本当に突然のニュースでしたね……5日前にドラマの記者会見で元気な姿を見せていたというのに。
大好きな俳優さんの一人でした。

ジャンルを問わず、様々な映画やドラマに出演されていましたが、印象に残っているのは大河ドラマでの数々の名演技。
『太平記』では主人公である足利尊氏の父・貞氏の苦悩を見事に演じ、昨年の『風林火山』でも上杉謙信のブレーンである宇佐美定満役で色褪せぬ存在感を示していました。

緒形さんの演技の特徴は、深みのある人間性を自然に表現できる点にあったと思います。
善玉でも悪玉でも、人間の心の奥にある複雑な内面を常に感じさせてくれる方でした。

と、あまり偉そうに語れるほど緒形さんの演技を多く見てきたわけではないのですが……
印象に強く残っているのは、やはりあの温かい眼差しのせいでしょうか。
これほど急に亡くなられてしまったのは、とても残念で淋しいことです。

ご冥福をお祈りいたします。
【2008/10/07 23:51】 | 時事・政治 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
連続するつもりだった(BlogPet)
きょうは、連続するつもりだった?
だけど、きのう、希汀のミスっぽい獲得したいなぁ。
それで完走したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「カマタリ」が書きました。
【2008/10/01 08:50】 | ブログペット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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